保ヨーグルト -日本のヨーグルトのはじまり-

創業と日本初のヨーグルト開発における一族の歩み

「保ヨーグルト」は1917年には日本初のマスプロダクトとして「ヨーグルト」の名前を冠して発売された発酵乳の当時のレシピを再現してつくられています。

この「ヨーグルト」開発には、当時の日本国内の栄養事情や味の好み、そして野村家が代々熱心な仏教徒であったことが深く関わっています。

 

「醍醐」をめざして

1886年に野村保が広島県で乳業メーカーを創業した頃、明治時代になって肉食の禁止が解かれていても、まだ日本人のふだんの栄養源は植物性のものが多く、たんぱく質などが不足していました。

当時、熱心な仏教徒であった保は、仏教の経典の中で、牛乳や乳製品を摂取して滋養を回復したという記述を数多く目にしており、これからの日本人の体格改善のために酪農を起こすことを決意しました。

保が仏教の経典の中でも、特に注目していたのが涅槃教の中にある「醍醐」に関する記述です。乳を5段階に渡って加工した「醍醐」が病を退ける最上の栄養食だと位置付けられています。具体的な作り方の記載はなく諸説ある中で、保の息子の真一がヨーロッパのブルガリア地方ではヨーグルトが長寿食として親しまれていることを知り、これを醍醐と位置付け、保とともにヨーグルトを開発をはじめました。

 

最も重視したのは安心・安全

牛乳の中で乳酸菌を培養しようとすると、雑菌が混ざって腐敗してしまうリスクがあります。現代のような衛生管理が確立されていない大正時代の日本で、ヨーグルトの乳酸菌を安全に培養する技術を求め、真一は釜山にいる乳酸菌の権威・蠣崎千晴博士を訪ね、菌の培養や衛生管理について学びました。

ここで学んだ知見は牛乳販売の際に容器を蒸気で煮沸消毒したり、医療用の鉗子で商品を取り扱うなどといった衛生管理にも役立てられました。

 

日本人のためのヨーグルトをめざして

保をはじめとした野村家の一族が、日本人のためのヨーグルトを開発する中で、味わいや食感、パッケージなどにさまざまなコンセプトが定められ、今日の日本のヨーグルトの原点となりました。

・酸味を抑え、乳の自然な甘さを強調すること

ヨーグルトの酸味が日本人に馴染みのないものだったため、酸味を抑えることに苦心して開発されました。乳酸が出にくい種菌を探したり、初期にはブランデーを入れて発行臭を消すといった試みもありました。また発酵が進みすぎないよう、発酵温度の管理や後述する流通過程などにもこだわりが詰まっています。

 

・絹ごし豆腐のようなしっかりとした食感

日本人が食べ慣れた柔らかい食感のものとして、箸で食べられる絹ごし豆腐の硬さが基準とされました。これを実現するため、1つのタンクで一気に発酵して容器に充填できる前発酵ではなく、容器にタネを入れてからそれをインキュベーションの中に入れて発酵を行う「後発酵」が選択されました。現在ではこの後発酵による食感は日本のヨーグルトの標準的な形となっています。

 

・ガラス瓶による品質維持

商品を運ぶ際、衝撃で容器が少しでも変形すると、後発酵による固まり(カード)が崩れ食感が大きく損なわれることがわかりました。そのため、後発酵の工程で必要な耐熱性、容器の味移りなどを防げる目的も兼ねて高価なガラス瓶が採用されました。

 

戦後の技術革新と次世代へ続く品質の追求

戦後の開発においても、一族の経験が大きな役割を果たしています。特に開発担当常務を務めた野村義雄の存在は、大きな転換点となりました。義雄はシベリア抑留という過酷な環境下で、栄養不足の中でヨーグルトの効能を自ら経験し、帰国後にその研究に注力しました。この実体験も、日本人の好みに合う独自の風味を追求し、改善を重ねる原動力となっています。